「仁」の原義を語る場は、春秋時代にあった。当時、複数の大国小国連合があり、それぞれの国に祭祀の場があり、別の国から人がおとずれた。そうした複数の国が関わる祭祀の場において、他の国の祭祀に配慮できる能力を「仁」と表現している。戦国時代に領域国家ができあがると、国は滅ぼされ国の祭祀の場もなくなった。大国の「仁」が小国にもたらされる。それが新しい意味の「仁」となった。王や皇帝は宗廟の「仁」をひろめる(寛仁)存在となった。それを補佐する賢人も「仁」を語る。二十四史を検討すると、『史記』~『旧唐書』の「仁」(緯書の影響)と『新唐書』~『明史』の「仁」(朱子学の影響)、それぞれを語る場は大きく異なっている。従来の「仁」は、よくて朱子学的な議論、極端な場合近代以後のさらに異なる意味で議論されるので注意が必要である。春秋時代は原義を語りつつ考古学的検討を進め、さらに遡る時期も同様である。『史記』は使えない。緯書は数理をもって語る。
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